ちょっとした自叙伝になります。よかったら読んでくださいね。
逆に不快な思いをさせてしまうかもしれません。怖いな、と感じたらブラウザバックしてくださいね!
■目次■
病気になるまで
病気発症前のことはこちらに書いておりますので、よければ合わせてご覧ください。
幼少期からのことを記してあります。
解離が落ち着いてもう少し思い出せるようになったら、また後日追記します。
うつ発症
勉強で追い込まれ、心身ともにボロボロになった僕は、勉強ができなくなり…
こりゃいかん、ということで初の精神科へ。小さな診療所です。
そこで「うつ病」と分かりました。(正式な診断はのちの病院で)。
ご飯を食べても砂利のような食感や味がする。
好きなゲームも何が楽しいのか分からない。
教科書を見ると吐き気がする。
夜が眠れない。オールする日々。
薬漬けの日々。
希望の光なんてこれっぽっちもなかった。
うつだけならまだよかった。
パニック障害も併発。
その他のIBSや恐怖症も悪化。
パニックに関しては、過呼吸を起こしながらダンボールをビリビリに破いたり…
けいれんのような症状がでたり。(詳しくは後述します)
家族の中では「しんどい」が禁句になりました。
これが僕のこころを更に閉ざすことになった要因です。
しにたくなることも多く。でも自分でケーブルを足にぐるぐると巻き、なんとしてでも防ぎました。
親戚との関係
こうやって苦しむ日々でしたが、ある日突然電話が。親戚でした。
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最近絡みがほとんどなかった親戚から突然心配の電話です。怖い。なぜわかったのか…
そして気晴らしに…みたいな感じで家に招かれました。ちょうどこの頃、両親の関係が悪くて家にいることが苦しかったこともあって。
親戚の家は高級マンションの高層階で、見晴らしもよく、空気もきれいで最高でした。
ご飯も質素とは言いつつも美味しいし、ずっと居たいな…って思うほど。
頻繁に通うようになり…
今の家事情のこともたくさん打ち明けました。
そうしていくうちに、どんどん家族が嫌になってきて…
大晦日、親戚らと共に自宅へ。
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母は泣いていました。そりゃ泣きますよ。だって全否定でしたから。
でも当時僕は親戚の意見が正しいと思っていた。
そして
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母はお金を渡しました。そういう空気だった。
今思うと、何でこんな目に遭わせたんだろう…お母さん…ごめんなさい。
それから
親戚の家に行くのが楽しみで…
でもある日誘われたんです。
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お寺?なんだろう。祈願するのかな?少し疑いましたが、親戚の言うことなので大丈夫だ!と思って、不安を抱きつつも向かいました。
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そこは思っていた景色とは違った。大きな建物があって、たくさんの部屋とロビー。
建物に入るときに、
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なんか違う。でもとりあえず従った。そしてついていく。部屋に入る。
そこには数珠を手に正座している人がたくさん。
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と思い、とりあえず正座。親戚から数珠も渡されました。
その後、部屋の一番前にあった液晶に、美しい着物を着たご年配の女性が映し出されました。
するとその場にいた全員が座りながら頭を下げる。
チーン…という音と共に
皆がお経を唱えはじめました。
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うーん、分からない。。けど聞いた。長かった。15分以上唱えてた。
ようやく終わった、と思ったら、次にまた液晶に知らない女性が映りました。
自分の経験、そしてここのおかげで救われたのです…と。
それを聴いて多くの人が涙。
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とりあえず、その部屋でのことは終わりました。
すると次は別の階の部屋へ…中を見ると、円状に並んだ人々が。
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霊、?えちょっとまって、お寺でここまでするん?え?
…でもとりあえず教わることに。
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頑張ってきたこと、ご先祖さまは気づいてくれていたんだ…
これからも感謝していけば道がひらけていくんだ…
そう思いました。その時は。
今考えたら、「誰にでも言えること」なんじゃないか?と。
分かった。これは新興宗教なんだ。教祖様を崇め、たくさんの良い行いを日々繰り返し、霊能者さんから教えられたことを実践し、しっかりとした清まった人間になるんだ。と思う場所なんだ、って。
でも初めてだから…どうしたらいいの?
その日から、毎朝晩に家で同じようにお経を唱え、線香を立て、教祖様へ
「いつもありがとうございます。今後も見守ってください。」
って伝えるんだよ、と親戚から言われました。
“そうしていくうちに病気も良くなるよ、きっと。”
この言葉を信じていました。信じ続けていました。
何も分からないうつの世界を抜け出す方法だなんて分からないよ。
だから、信じるしかなかった。信頼できる親戚が言うことなんだから。
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きっとそうだ。間違いない。あんな自宅にいてもしんどいままだ。と思いつつも…
学校
そろそろ学校に行かなければ
僕は身を削る覚悟で通いました。
さすがに毎日は無理。親戚の家から通うことも提案されましたが、さすがに交通費もかかるし…
でも、ここで一つの出逢い。
i先生。先生もうつ病経験者で、気持ちがよく分かる…と共感してもらえました。
これがとても嬉しかった。だって今まで、自分の気持ちに気づいてくれる人はいなかったから。
そして病気になった一番の原因である数学だけは…でたくないけど、授業中に頓服を飲み、過呼吸を起こしながら受けました。過呼吸よりも勉強。そんな先生だったので「大丈夫か?」の一言もなく授業を進める。
今思うとなぜここまでやったんだろうと思います。
だって単位は余裕で足りていたから。発症以前に頑張りすぎていたから。
霊(1)
霊?
ある日、親戚が言いました。
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…え?…え?動揺を隠せません。やつが悪さをしているみたい。
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と言われ、背を向けます。後ろから手をかざし…すると温かくなってくるんです。
身体が軽くなるんです。
実際に取り憑いていたんだ。この時に強く思いました。
別の日、親戚に自宅まで送ってもらっている最中。
トンネルの中で急に息苦しくなることがあり、そのことを隣の親戚に伝えると、
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そこで近くにある、霊が集いやすいと呼ばれる場所へ。「霊を感じたら言って、感じなくなったら言って」を繰り返すことに。
すると…
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ついに霊感まで得られたそうです。でも僕は怖かった。未知の世界をいきなり知って…訳が分からない。
でも親戚が
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と言うと、僕の首も締められている感覚になります。苦しい。息がしづらい。
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そうなんです。僕の自宅が面する道路で首が締まるゾーンと締まらないゾーンがあるんです。
それが親戚の言っている所と完全に一致する。
“親戚が言ったところ”が一致するんです。
そう、これは一種の「洗脳」です。
しかしこの程度では終わらないのです…
入院
自宅にいるときは親戚から電話がかかってきます。
毎日30分くらい話してます。
常に親戚と共にいる感覚でした。
それが安心につながっていたのです。
それでも近くの診療所には通い続けます。薬もどんどん増える。
とある薬は、ほぼMAX量まで処方され、完全に躁転。
安定のジプレキサで55kg→65kgへ。3日でこんなに変わりました。驚き。
でも躁だからなにも感じていません。
親戚の家に泊まり、帰り…すると
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霊が大量に僕の家に溜まっているというのです。
これはダメだ、ということで父の車で逃げる。市内中心部へ。
僕が得たらしい霊感で、首が締まるか締まらないか、その感覚で泊まれるホテルを探しました。
4軒目でようやく「ここなら…」というところを発見。
急遽そこに泊まることに。父は自宅とホテルを行ったり来たり。本当に迷惑をかけました。
その翌朝、もうメンタルが狂い始めたということで診療所へ。
霊に取り憑かれる、気分の波も異常だということを主治医に伝えました。
そこで入院する計画が浮上。
このままじゃ改善する余地がないということで。
しかし、通っていた診療所には入院施設がなく…別の病院を探すことになります。
それが今も通っている病院になるわけです。
ここで今の主治医と出逢いました。この出逢いが僕を大きく変えることに…
さっそく入院なわけですが、すべて閉鎖病棟になります。
携帯電話の持ち込みはもちろんダメ。
僕にとってはかなりしんどい。
他にも持ち込み制限がありすぎて困りました。
入院前夜には家で泣きました…
そして病室へ。
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そう思い、とりあえずゴロゴロ。集団での行動は昔から苦手だったので、基本イヤホン。
患者さんが集まってご飯を食べるのはしんどかったなぁ。
そして夜を迎えました。シーンと静まり返ったフロア。
閉鎖された、逃げ出せない空間。
パニック発作を起こしてしましました。過去最大級の。
泣き叫んで過呼吸になってけいれん起こして。
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そして連れていかれ…ん、なんか違うところ来たぞ…?
そうです。ここは隔離室でした。
ズボンの紐を抜かれ、何もかも奪われ、紙コップとボトルに入った水だけ置かれ、
「何かあったらカメラに向かって手を振ってね」
と看護師さんに言われ…二重の扉が閉められました。
「個室」と聞いて安心していたのに、「隔離室」だなんて聞いてません。
たまに隣の部屋から「うぉぅぉ…」という声が聞こえたり…
眠れるはずもありません。その日はオールしました。無理です。
その部屋は、自分で流せないトイレとベッドがあるだけ。その他は何もなく、殺風景。牢獄のようです。
翌朝、看護師さんが朝食を持ってきてくれました。その時にいろいろ話を聞いてくれて…
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と。なぜかOKくれました。あとで確認するね、ということで。
そして早く抜け出したいことも主治医に伝えておくよ、と。
初めて会ったのに、こんな気の狂った患者なのに、優しく接してくださいました。本当にありがたかった。
お昼前、主治医が診察にきてくれました。
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はい。一泊二日の入院生活が終わりました。
完全な準備をして臨んだのですが、まさかの1日で帰宅。
いやぁ…申し訳ない。なんの旅行やねん、と。
その入院中にも親戚から電話がかかってきていて、心配していたようです。
親のところにも電話があったそうで。
躁(1)
YouTube
この頃から、突然YouTubeに動画を投稿するようになりました。
ミラーレス一眼を突然買ったり…
初投稿は緊張しましたが、躁だったのでばんばん毎日投稿したり。
今観たら「なんでこんなの上げてるん…」と思うものばかりです。
でも中学の頃から「映像」や「デザイン」には興味があったので、これでよかったのかな、とは思います。
東京
なんとね、一人で東京へ行きました。観光+ネットの友人と会うため+前述した新興宗教のお祈り が目的。
パニックも持っているのに、そんなこと考えていませんでしたね…
始発の新幹線に乗ってびゅーん、って。笑
親もよく交通費だしたな…というよりよく送り出したな…って。
また迷惑かけちゃってますね。
早朝散歩
僕の生活は
0時就寝→3時起床→動画編集→散歩→日常
のような感じでした。アホでしょ…?笑
今思うと何でこんなことできたんだろう…って。
毎朝のように散歩して新鮮な空気を吸って。とても気持ちよかったんです。
時には躁で買った一眼で写真を撮りながら散歩したり、ジョギングしたり。
薄暗い時に家を出て、朝日を見るのも楽しみだったなぁ…
爆買い
YouTubeで商品レビュー動画を投稿するためにいろんなものを買いました。
貯金がどんどんなくなっていく…そんなことは何も考えずに買っていましたね。
タブレットとか。
細々と高いものを買ってしまいました。
学校
前述したi先生と単位を取るために「いつどの日に何時間出ればいいか」というのをスケジュールを見ながら決めていました。最低限の単位を取るために。でも現実はそんなに甘くなかった。
教室に入るだけで気分が悪くなり、保健室登校がほとんど。
ほぼそんな感じで、早退する日も多くなりました。
とある日、早退して駅で電車を待っていました。
・
・
あれ?電車は?
なんと気づいたら1時間経っていたのです。
ずっとホームの端っこに座り込んでいた。この症状も後に新たな障害と分かります。(次の記事で後述します)
そして…秋に学園祭があるのですが、僕たちのクラスは、劇とダンスをすることになりました。
それなのですが…躁!!!!な僕はいち早く、台本書いてみたり、Tシャツのデザイン考えてみたり…
もちろん採用されよう!などといった気持ちはなかったのですが、どんどん進んでいきました。
完成しまして、それを親友(同じクラス)に見せたんです。
するとですね、担任にも見せちゃったらしく…
クラスのみんなにも伝わったそうで。僕ひとりで決めるわけじゃないのに。
なぜか僕が勝手に決めたみたいになってる…
勝手に書いたのは僕。それは事実です。
でもそれが採用されたらいいな、なんて思っていませんでした。
今でもこれは反省しております…
やはり躁は怖い!!!!!
でもまだ分かっていなかったんですね…ひえぇ。。。
続きます!