どうもこんにちは。たける(@takeru_sky)です。
以前から何度か記事で紹介しているのですが、僕の過去を綴ろうと思います。
同じように苦しんでいる方に「あなたはひとりじゃない!」と伝えたく、書くことにしました。
過去を晒すのは、僕にとって勇気のいることでしたが、もういいかなって。
いつまでも閉ざしていても変わらない。それなら、自分の過去で人を救いたい
救えるかは分からないけど、少しでも何かを感じ取ってもらえたらそれだけで嬉しい。

というわけで、長くなりますが…よければ最後まで読んでくださると幸いです。

 

 

幼少期

年少

まずは幼稚園の頃から。もうね、ほんとーーーうに嫌だったんです。
集団で何かをすることが嫌で嫌で(今も)、バスで送迎だったのですが…
毎朝大泣き。

たける
行きたくないぃぃ!!お母さんん…!!!

それでも無理やりバスに乗せられ、泣きながら幼稚園へ。
とにかく控えめで、ずっと部屋の隅っこにいる子でしたね。

そして少し慣れてきた梅雨頃。
朝幼稚園に着いたら、始まりまで時間があるんです。その時に担任の先生が一緒に遊んでくれるわけです。
そこでおままごとをやることになって…

たける
お母さん役やる〜

って。えぇ、なんで?笑
あの時の意図が分からないのですが、とにかく集中、没頭ですね…
ひとつの事柄にずっと集中する。これは今でも変わらないかもしれません。

秋に遠足があったんですよ。まぁ現地までは大丈夫。
お昼の時間です。吐き気に襲われ…

たける
食べられへんかったらどうしよぉ…

あぁ…と半泣きになって…おにぎりは一口しか食べられませんでした。
これが…実は今も続いているのです…(後でたくさん出てきます)

 

年中

 

ひとつ大きくなって5歳。
この頃から少しずつ表向きな子に成長していきました。
いろんな事で立候補して。クラスのリーダーになったこともありましたね…
しかもそれについてきてくれる子がたくさんいて。人気者だった気がします。

しかし、年長さんの存在が怖くなってきたのです。担任以外の先生も。
被害妄想…ではないですが、すごく怯えていたのを今でも覚えています。
ちょっとずつ、今の性格に近づき始めた頃なのかもしれません。

そしてね、体操のお兄さんが年に2回幼稚園へ来てくれるわけです。
ここでも恐怖症が炸裂。男性恐怖症かな?
ずっと泣いていて、過呼吸になって講堂の壁で体育座りしていました。

 

年長

 

3年目。幼稚園のお兄さんですよ。
年長の時は比較的活発でした。幼稚園に関しては大好きで、毎日いろんなことで遊んで…
時には発泡スチロールをバラバラにして、遊具の上から「雪やで〜」とかやってて怒られました笑
でもね、夏になって…
そうです。「お泊り保育」があるのですよ。
集団で行動するのは、やっぱり無理だったのかな。
みんなでカレーを作ることになりました。作るまでは問題なかったんです。
「いただきます」
はい。強烈な吐き気。そして「食べられへんかったらどうしよ」の思考で頭がいっぱい。
結局先生に半泣きで言って、残しました。

そして夜になるにつれてとてつもない不安感に襲われ…

たける
帰りたいぃ…お母さんん…

ずっと階段で泣いていました。先生もずっと起きてくれて。
本当は講堂の真ん中の布団で寝る予定でしたが、先生が隣で寝かしつけてくれるということで、一番出口に近いところで寝かせてもらいました。
なんとか1日目を乗り切り、2日目の朝。パックの牛乳とあんぱん。
何も食べられませんでした。一口は食べたかな?また吐き気と不安感にやられて…

その次の日からは、普通に幼稚園に通えてました。
運動もできて、跳び箱は6段が余裕。

たける
先生〜8段はないの〜?

とか言ってましたねw

なんやかんやで幼稚園は卒業っ!!
今思えば、この頃から怪しいものがありましたね…

 

小学校

 

1〜2年生

 

さて、入学ですよ。
もうね、不安と恐怖しかありませんでした。だって幼稚園の進化版ですよ??
給食」というものがある地点で猛烈な予期不安。入学式の日から教室で一人で泣いていました。

でも担任の先生がとても良い先生で、そんな僕の不安を少しでも解消しようとしてくださり、僕にとっても過ごしやすい環境となりました。給食も食べられなくて

たける
先生、残してもいいですか…?

と聞くと、

担任
うぅー?たける…!しゃあないなぁ!

と怒るように見せかけて優しかったのです。

ただ、小学校では「たてわり」というのがあって、1〜6年生までが縦に割られて班ができるわけですよ。たてわり遠足とかもありまして…それも嫌でした。が…それよりも「たてわり給食」がいっちばん嫌だった…
食べるしかないじゃないですか。しかも先生は全く関わりのない先生。残したらだめ……という気持ちが募るばかりで、ずっと泣きそうになっていました。
が、6年生のお兄さんが優しくて、先生に残すことを伝えてくれました。本当に助かった。

ってな感じで給食は何とか乗り切ったわけです。しかし…軽いいじめが入ってくるのです。

いつもいじめられて泣いていましたね…ほうきを顔面に当てられたり(歯が欠けて大変でした)、彼岸花の茎を食わされたり。。

そんなこともありましたが、小学校1,2年は比較的楽しく過ごせました。

で!ここで転校…となり、ここからが暗黒時代の始まりです…

 

3年生 

 

さて、4月の始業式。もうこの地点でしんどかった。周りは全員知らない人。

そんな空間に投げ出されたのです。

担任の先生。はい。この人が僕の人生を大きく左右しました

教室に入って始めの日って自己紹介するじゃないですか?
その時に先生がルールを決めました。

担任
これからは〇〇さん と呼びましょうね。

「これからは〇〇さん と呼びましょうね。」

「さん」で呼ぶという謎の掟。

まぁ…仕方ないなぁと思い、先生の前ではそう呼んでいました。

で!!ここからです。

ただでさえ新しい環境で緊張、不安でいっぱいだった僕に…先生からのいじめ。パワハラですね。
毎日のように怒られるんです。みんなの前で。

 

給食

 

ひとつは給食の時。

体調が優れていない日がありまして(学校のせいで)、給食が完食できそうになかったんです。
それで同じ班の子が先生に「食べられない」ということを伝えにいってくれました。そしたら、

担任
なんで自分で言いにこないの?

ごめんなさい…気分が悪くていけないんです…とは言えず。

担任
じゃあ残すのね?

残したい…けど食べなきゃ…

たける
いや、頑張って食べます

と返事。

そういったからには食べないといけない。

でも…やっぱり限界がきました。

たける
先生、やっぱり食べられないです。

 

担任
何で!?さっき食べられるって言ったじゃない!

 

泣きました。ワガママ言わずに頑張ろうとしたら無理だった。それを伝えたら怒られた。

世間一般では普通なのかもしれませんが、僕にとっては衝撃的すぎて辛かった。

このことを家に帰って泣きながら報告。そしたらさすがに母も学校に電話してくれました。

そして次の日。先生に音楽室へ呼び出され…

担任
給食、全部食べなくてもいいよ?残してもいいよ?

逆に怖かった。いきなり何を言い出すんだ…

更に給食に対する不安と恐怖。「」に対しても恐怖を抱くほどです。

それからは特別扱いとして、ご飯を一口分だけ、などの工夫はしてもらいましたが、周りのクラスメートたちからは

友達
何で食べへんの?

ってなります。そりゃ小学生ですもん。理由を考えるのだけで頭がいっぱいでした。
4時間目が終わりに近づけば近づくほど心臓が高鳴って…お腹が痛くなる。吐き気がする。

ってな感じで給食は毎日怯えながら乗り切っていきました。

 

不登校

 

毎日毎日怒られる。

 

  • 教科書を忘れる
  • 自由研究のテーマが悪い
  • 雑巾の絞り方が間違っている
  • ほうきの掃き方が間違っている

などいろいろとありますが、教科書を忘れたのは痛かった…

前日は夕方になると恐怖と不安で頭がいっぱいでした。

明日も怒られる。明日も給食がある。。

そんなことで…ランドセルの中身を一切触らず学校へ行ってしまった日がありました。
全て(1〜6限)の教科書を忘れるという…

それ以降、毎日全教科の教科書を持っていっていました。

今思えばこの頃から精神がやられていたなぁ…と。

こういったことが繰り返されて…

3年の6月から不登校になりました。…というより学校に通うのが怖かった。

母も先生に

学校に行きたがらないんです。嫌って言うんです。

と電話。すると

担任
〇〇市のカウンセリングを紹介しますので、そちらへ行かれてはどうですか?

原因とか一切触れない。カウンセリングへ行ってください。ただそれだけ。

それで毎週土曜日に通うことになったのですが、まだ3年生ですよ?まともなカウンセリングはできない。
効果はほぼありませんでした。

毎晩毎晩襲ってくる恐怖。

学校

もう怖くてたまらないのです。

怖くて寝られなかったのですが、無理矢理寝る毎日。
そして朝を迎えるのが嫌だ。

朝になったら泣きまくりですよ。

たける
学校行きたくないぃ!お母さんん!!

いくら頼んでも8割がたは

あかん。頑張って行き。

それでも嫌や…と言っていると

じゃあお父さんに聞いてみ。

恐る恐るお父さんに休んでもいいか聞くと

何言ってんねん!俺かてしんどいけど会社行っとんねん。行け。

誰一人この苦しさを理解してくれる人はいなかった。

居場所が完全になかったのです。

でも泣いている間に時間はどんどん過ぎて…登校班の集合時間です。
諦めて涙拭いて、玄関のドアを開けた瞬間、別世界のように振る舞う。

ニコニコ笑顔で近所の友だちにも接していました。
何事もなかったかのように。

今思えば、泣き声は外で丸聞こえだっただろうな…

週に2,3回ほどは休ませてくれましたが、それ以外は絶対に。

 

もうね、自分を捨てました。

 

ある日気づいたら包丁持っていました。

もう、いいや。ってなったんです。

さすがに親にも罵倒され…叱られました。

 

そんな辛い一年間を過ごしました。

まだまだありますが、書ききれないのでこれくらいで。

 

4年生

 

担任が変わったのです!!!!!

もうラッキーすぎる。しかもその担任の先生は、学校が嫌なことも理解して下さる先生でした。
給食を残すのも少しだけ楽になり、「学校に通う」ということも多少は軽減されたんじゃないかな。

相変わらず学校は嫌でしたけどね…辛いし。吐き気するし。お腹痛いし。

4年生になると課外合宿?と呼ばれるものが始まります。

そう2泊3日です。

たける
あぁ…ただでさえ学校が辛いのに、学校から泊まりにいくなんて…

これまた恐怖と不安でいっぱいに。

事前に担任と話し合いをして、夜ご飯はこうしようね、とか簡単なことは決めていました。
でもやっぱりしんどい…前日の夜は不安と恐怖のパーティー。笑

親に泣きついても無駄です。行く選択肢しかありません。

たける
インフルエンザになりたい…

とか思っていましたが、行くのは夏です。笑

でも実際に現地で熱を出し、仮の保健室的なところで寝ることに。
それだけが本当に救いでした。

最終日は水族館へ行くのですが、そこでも班活動が辛くて…戦線離脱。

熱を理由に先生たちと一緒に過ごすことに。

本来であれば、班でレストランへ行く予定ですが、僕だけ抜けて先生からおにぎりをもらいました。
それも一口しか食べられず…もうぼろぼろ。

なんとか3日間過ごして帰ってきましたが、いやぁ…もう無理^^;

それからは比較的楽に過ごせました。3年のときと比べたら段違い。笑

担任の先生、ありがとう。

 

5,6年生

 

はい、担任が元に戻りました。

辛すぎる。でも怒られるターゲットは別の友だちに変わってしまって…

本当に教師失格じゃね?って思いました。

課外合宿はまたありまして、今度は4泊5日。教育委員会の方々は何を考えているんだ…笑
1日目でアウト。親に泣きながら電話して…

たける
迎えに来てぇ…

まぁ拒否られましたね。頑張れ。と。

ここでも戦線離脱。熱が出てくれました。(ラッキーなのか…?笑)
また保健室のような和室で、養護教諭の先生と寝ることになりました。

でも朝、シーツを替えるために集める場所に持っていった時、

担任
何枚ありますか?

と担任。

枚数を聞かれるとは思っていなかった僕は戸惑って答えられずアワアワと。

担任
何でわからないの??あなたと先生の2枚だけでしょ!?

はい。お豆腐メンタルの僕は一発でK.O.です笑

基本的に行動は、一緒に来てくださった学生ボランティアの先生と共に過ごしていました。
みんなとも合流しますが、心臓が高鳴って辛かった…吐き気ヤバイんです。

 

まぁそんなこんなで乗り切りまして…6年の修学旅行も同じような感じでしたので割愛。

でね、この頃に…一度失禁したことがあるんです。

IBSですよ。でてしまいました。

朝も下痢、学校ではかなりの腹痛…みたいな。

この頃はIBSなんて単語知りませんでしたよ。笑

更にいじめもありました。別々のいじめを2人から。
蹴られたりみぞおち殴られたり、田んぼに落とされたり…
ランドセル投げ捨てられたり…

いじめは何とか解決できたのですが、次は違う子がクラスほぼ全員からいじめられていて…

彼のノートの上には誰も提出物を出さないし、半径1m以内に入ったらウイルス!とか言ったり。

他にもいろいろされていて…僕は見ていて辛かった。
もちろん味方になりましたよ。いじめられる側の気持ちはとてもわかりますから。

自分が次は…とか何も考えずに彼を守り続けました。

このことを先生に報告もしました。彼とは今もつながっています。

こんな怒涛の小学校生活を送ってきたわけです。

自分でもよく耐えたなぁ…と思うくらい。

さて、次はまた違った形で苦しむのです…

 

中学生

 

1年生

 

新たな環境での生活が始まります。

入学式の日、僕は全然不安ではありませんでした。
自分の心を押さえつけていましたから。

でもね、1週間経ったら…見事に爆発。

学校が嫌や…再発しました。

そしてそして!部活動、ありますよね。
僕はただでさえ学校が嫌なのに、

たける
更に部活動をするなんてふざけんな!!

って言いたいくらいで、親に相談したんです。

たける
部活入りたくない…絶対嫌や。

それでも親は

絶対得られるものがあるから!入れ!

そりゃね?わかりますよ。違う世界観が見られることくらい。
でもそれじゃないんです…それ以上のものがあるのです…

最終的に

テストで70点以下を取ったら強制な。

ということに。

 

勉強

 

さぁ、次は勉強さんが僕を苦しめてきました!

たける
学校は行きたくない。でも勉強置いていかれる。テストで点数とれんくなる。無理矢理でも行かな…

そうなるでしょうよ。というよりまず、「70点以下で部活を辞めさせる」が一般じゃないのかな?

僕の場合正反対なんですね…笑

毎日帰ってきたら、ワークを広げて勉強します。
宿題なんて勉強のうちに入りませんよ。予習復習をして初めて勉強と呼べるものだと僕は思っていました。

1回目のテスト。ドキドキでしたが…

ほとんどが95点前後。

たける
おぉ!助かった!!!

と思えたのは最初だけ。この点数を取ってしまった自分は更に苦しむことに…

2回目のテストに向けてテスト勉強を始め…

たける
前回あの点数を取ったから落としたらアカン…!!

と思った僕は更に更に頑張る。親も喜ぶだろうし…!

といった感じで高得点を取り続け、部活に入ることは免れました。

 

2年生

 

担任が変わり不安でしたが、いい感じの先生でした。
そして僕はまぁ、いわゆる陰キャラですよ。そう呼ばれて生きてました。

2年になってからは、更に勉強し…100点の教科が複数

もうね、学校が嫌とかそんなことは捨て去っていました
嫌でも勉強が遅れたら余計に恐怖に繋がるから。

そして軽いいじめもあったんですよ…

あだ名が「毛」とか。ちょっと毛深いことでね。

そしてIBSで我慢できずにトイレへこもることがありました。

はい、上から覗かれるんです。あだ名「トイレマン」

なんやねん…

地味なところで言えば、筆箱に落書きされたり、シャーペンが折られておいてあったり、机にいかがわしいことが書かれていたり。
まぁそんなの今思えばちょろいですけどね。笑

勉強面においては、周りから賞賛されるわけですよ。

たけるくん賢いなぁ!
100点取るとか神やん!
やっぱりたけるはすげえなぁ!

友達や家族、更には親戚からも。

さぁ、このプレッシャーとやらをどこに捨てれば良いのだい??
僕はすべて受け止めてNOが言えない性格なので、溜め込んで

たける
自分はもっと頑張って良い点数とらなあかん!

と言い聞かせ…

 

3年生

 

簡単に言うと、学校生活はとても楽しめました!クラスも最高。

学校は嫌いだけど、楽しみが見つかって通うことができました。

そして問題は受験ですよね。
志望校を決めよう…となっていて、僕は工業高校を推しました。勉強嫌だし、好きなことも学べるし。

でも塾には行っておいた方がいいだろう…ということで、初めての塾です。
(ここまで塾無しで勉強してきたことはいろんな人に褒められました…笑)

塾の教室長に行きたい高校を話すと…

教室長
…え?…なんで!?!?

と笑われました。

教室長
たけるくんの学力でココ行くの!?

と。

正直ね、自分が賢いとか思ってないんです。周りが勝手にそう言っているだけで、上には上がいくらでもいる。
自分なんてまだまだ下の方。って思っていました。

まぁ…塾がそういうからにはレベルあげました…

京都のトップ校を目指そう!と。

僕は嫌だったので、

たける
やっぱり私立の〇〇高校の方が…

と言うと、

教室長
それならどこへでも行けるようにトップの勉強しようか!

となり…超難問な問題集ばかり解くわけですよ…

毎日帰宅したら即塾へ…そして夜の22時まで。

途中に30分ほど休憩は挟むのですが、メロンパンタイム。笑
さすがにお腹すきますよ…

模試でも偏差値70いきました。まぁ高校の模試なので簡単ですかね^^;

ギリギリまで進路で悩みました。レベルの高い学校に行ったほうがいい。でも勉強は嫌や…

ある日、塾から帰ってお風呂で手足が震えだし、涙が止まらないのです。

たける
これはもうダメ…〇〇高校に決める
塾と親
〇〇高校に行くなら特進クラスね

〇〇高校の真ん中のクラスに行きたかったのですが、仕方なく塾がいう特進コースを受けることに。
半額免除の特待生として合格しました。

ここから、また僕の人生を大きく左右するのです…

 

高校生

 

1年生

 

まずね、入学前の課題。なにこれ?多すぎない??笑 
ギリギリまで頑張ってようやく仕上げました…

そして入学式。最初のホームルームにて。

担任
君たちには今から受験生としての自覚をもってもらう
たける
はぁ!?

ってなりますよね?まだ入学初日ですよ?
入学式の看板の前で写真を撮る…なんて余裕もなく、帰りに寄った寿司屋で号泣。

あれだけ勉強で苦しめられたのに、これ以上に苦しめ、と。

こうして僕の高校生活が始まりました…

まず毎朝小テストがあります。
月曜日は古文単語、水曜は英単語、木曜は数学…みたいに毎週決まっています。

これもひどくて、点数が合格点に満たない生徒は、点数と共に名前が貼り出されます。
僕は絶対に回避しようと思い、毎日必死に勉強

そして僕を一番苦しめたのが数学の授業。
担当の先生が…まず最初の授業で

数学の先生
お前らは勉強だけしていればいい
数学の先生
趣味など捨ててしまえ
数学の先生
関関同立なんてクソや

といきなり訳のわからんことを言い出すのです。
いやいや…と思いましたが、従うしかない。

勉強だけの生活、スタートです。

(関関同立に通っておられる学生さん、本当にすみません。僕にとってはかなりレベル高いですよ…ほんと)

毎日数学の授業はあって、前の授業が終わる10分前には必ず教室の前で先生が立っている。チャイムと共に教室へ入る。

すると…教室が一気に静まるのです。シーーーン…
まずこの空気だけで耐えられないですね。

そして始業チャイムと共に

数学の先生
はい起立!!気をつけ!礼!

の後に2倍速の授業が始まります。本当に速いんです。
黒板に書く速度も異常で、口頭での説明も高速、更に座席が前の人から当てられていきます。

数学の先生
さぁ、〇〇君なら答えられるよねぇ??では答えをどうぞ!!!!

もうね、これで答えるためだけに青チャートを買いに行きましたよ。
怖くて怖くて…答えられなかったら

数学の先生
んんー?ハッハッハッ

とニヤニヤしているのです!!ああー!!もう無理。
数学の時間が始まる20分前には腹痛と吐き気で大変でした…

そして普段の勉強は、帰宅してすぐ課題を終わらせお風呂で単語の暗記、ご飯を食べながら数学を解いて…
そこから20分くらい休憩を挟むのですが、その後は2時頃までぶっ通し
目をこすりながらリビングに薄いマットを敷いて仮眠タイムです…(まぁ一応寝てます)

起床は5時!たまに寝坊して6時半とか…
もう寝坊した時は最悪ですよ。

何も食べずに即登校、コンビニでおにぎりと野菜ジュースだけ買って教室で食べながら朝テストの勉強。

もうね、最初の頃は家で泣きながら問題集解いてました。何周も範囲を繰り返して。
問題文を全て覚えるくらいまでやっていましたね…

クラスのみんなも勉強に追われてあまり寝ていない子がほとんどだったので、授業中は顔を伏せている子が結構いました。
休み時間はクラスの9割が寝る!!数学の前は別ですがw

以前の記事でも書いているのですが、僕が授業中に寝ないためにやっていたことを書いておきます!

  • ミルクティーをがぶ飲み
  • ミンティアの一番辛いやつを2,3粒食べる
  • そこで水を含んで口の中をミンティアの辛さでいっぱいに
  • マスク着用で目に辛さが届くように
  • 更にメガネをかけることで効果大

今思えば何をしてるんだ…って感じですよ。ここまでしないと授業中に寝てしまって勉強がついていけない&当てられた時に困る。
ここまでしてもカクンっといっちゃう時が何度もありましたが。。。笑

で、少し異変があったのが6月。
いつものように朝テストの勉強をして挑もう!…あれ、テスト用紙を配られた瞬間頭が真っ白になりました。

たける
なんで…こんなに勉強したのに…あかん…

結局そのテストは10点満点中2点
周りの子達からも「どうしたん!?」って言われるほど。
僕は「賢い」っていうレッテルを貼られていたのですよ…さらにプレッシャー。

その後、2週間くらいして復活しました。満点!
この時は何も考えていなかった…ただのスランプだ、としか思っていませんでした。

7月。模試と英検とテストがまとまってやってきました。

英検は卒業するまでに2級合格すること。模試は全員偏差値55以上がルール。足りなかったら部活は退部。
かなり厳しい条件を設けられていました。。

でもこの頃は「勉強」に「洗脳」されていたのでやるしかなかった。

模試は数学が偏差値68。英検は準2級合格。まぁまぁです。
いやぁ…怖かったですよ。偏差値70超える人が数名いたので…
英検も2級受かった人が2人?いました。

そして夏休み。僕たちのコースだけ夏期講習が長い。というより夏休みは2週間もない、の表現が正しいのでしょうか。笑

その夏期講習で行われたのがセンター演習。まだ高1ですよ!?もう受験勉強ということで…
これも厳しい条件を設けられていまして、一人でも8割取れなかったら連帯責任で全員やり直し!
っていう…きつすぎません?8割取れなかった人が一番辛い条件でした。

なんとか回避しましたが、大変でしたよ。。

補足。夏休み中に数学1Aが終わりまして、2学期からは数2B。早くね!?笑

夏休みの課題も多いわけです。。夏休みとは呼べないような夏休み。?
3割くらいの子が2学期入ってからも終わらず、だいぶ怒られていましたね…
僕は心の声を無視してやってきたんで1週間前に終わりましたよ。「苦しい」なんて言わない。うん。

夏休み中?夏期講習中の午後は三者面談なんですよ。
で、成績が分かるわけです。テストではクラストップを結構取っていたおかげか、ほとんどが5。4は4教科くらい?評定平均は4.8でした。
これもクラストップ。2以下がある人はもちろん補習&課題。テストがある教科も。
ここでね、クラストップなんて取ってしまったのが…今後を大きく左右します。

夏休みが明け、また怒涛の日々が始まるわけです…
2学期からは先生方も本気を出し始めて、これまで以上に厳しくなりました。

僕もヒートアップしました。寝る時間は英単語と数学の朝テストがある時はかなり遅くなりました。
大体3時とか4時とか。ほとんど寝坊して6時半起床なんですけどね…

あ、さすがに毎日ではなくて、金曜日と土曜日はちゃんと寝てます!
金曜日はたまに友達とゲームする余裕も少しできてきました。
あれだけが唯一の楽しみだったかもしれません…

問題が起こったのが10月です。とあるクラスメイトが元カノのことをいつまでも言い続けてくるわけですよ。
わざわざ会話にその子の名前を出したり。その子の前で〇〇くーん(僕の名字)と大きな声で言ったり。
さすがに毎日続いたので、僕もいらだって…爆発しちゃいました。
僕の大切な映像や画像のスキルを、凶器に変えてしまったのです。
彼を侮辱するような映像。(彼の映っている動画を都市伝説風に編集)
彼の髪型をいじる画像。
最悪な事をしました。ありえない。今でも後悔しています。
いくら嫌だったとしても、自分の大切にしていることや得意なことで人を傷つけるなんてあってはいけないこと。

彼はもちろんこのことを担任へ半泣きになりながら報告したみたいです。
数日後呼び出しをくらって、生徒指導の先生にかなり叱られ、停学処分になりかけました。
そこはさすがに担任が抑えてくれたようです。
僕は彼にも非があることは伝えられず、自分の罪だけを全て伝えました。

この件を知っている他のクラスメイトが、僕の味方になってくれて、先生に抗議してくれたのですが、
彼に対しては

担任
まぁ過去に触れるのは控えたほうがえぇなぁ、気をつけて。

 

で終わった。とても悔しかった。でも自分がしたことだから仕方ない…と泣きながら帰りました。

ココらへんから僕の心がおかしくなってきたのかな?
2学期中間テスト。オールで受けた日もありました。
でも…点数がとれないのです。あれだけ勉強したのに。
いろんな人に抜かされ…その子たちの表情が怖くて…
他人を押しのけて自分が優位に立つ、という表現がいいのかな?
やっぱり人は怖いなぁと思いました。
僕の被害妄想なのかもしれませんが、周りの子に対してもそのような表情をしていたので…間違いないかなぁと。

このことを英語の優しい先生に相談したら、

英語の先生
高校生になると覚え方とかも変わってきちゃうからね…なかなか難しいと思うよ。でも新しい方法を見つけるチャンスでもあるから大丈夫!〇〇くんならゆっくり探せるよ。

って。とても嬉しかった。でも覚え方の問題じゃなかったことがこのあと発覚します。

12月。2学期末テスト。英検やら模試やらがまた重なって面倒でして、テスト勉強は1週間前からしかできず。
その1週間前。焦って現代文の教科書とノートを広げました。

 

 

身体が固まりました。

脳も固まりました。

そしてシャーペンが震えます。涙が溢れます。

 

勉強ができなくなりました。

 

ノートに何も書けない。頭も真っ白。


テスト…テスト…
無理です。これを見た親もさすがにダメだと思い、担任に電話することになりました。

たける
先生。テスト受けられないです。今回は休んでもいいですか…?

 

担任
そうか…まぁ〇〇ならこれまでの成績があるし、休んでええよー

 

結構軽かった。笑

そして初の精神科へ行くことになりました。
そこではIBSの診断しかされず、他の診断はなし。
なのに抗不安薬とSSRIが処方されました。

とりあえず飲んだ翌日、身体が全く動かず…吐き気も。
調べたらSSRIの副作用ということで。1週間は身体が鈍かった。

親が

 

ほら、楽しいことでもやったら?

 

そこで大好きなMinecraftをプレイ。

 

何も楽しくない。まず「楽しい」という感情はどこへいったのか。

 

ご飯。砂利を食べている感覚。味もよろしくないし、食感もじゃりじゃりと感じる。

 

こういったことを担当医に伝えると、さらに沢山の薬を出されました。

1日12錠とか余裕ですよ。結構飲みました。

そしたら次は…そうです。躁転しました。
いっぱい買っちゃうんですね…そしてなんでもできちゃう感。

これも伝えると、やっぱり入院すべきだ、ということで今の病院に転院。
今の主治医との出逢いはここなんですね。

で、入院したのはいいけど、1日目の夜にパニック発作を起こして隔離病室に入れられ、、、
あれ辛すぎますよ。流せないトイレとベッドだけの部屋。湿度も低くて息がしづらい。
扉は二重でもちろんロック。
2日目で退院できました…何しに行った笑

…といった感じで高1までの流れをまとめました!
長くなっちゃってすみません!この後(高2〜)も追記していきますので、ご興味のある方はご覧ください(^o^)v
とりあえずここまで!結構怒涛の日々でした。

こりゃ病気になるわな…って自分でも最近思います。

続きはこちらから!

https://takeru-sky.com/kokoro-fight/

今(2018年8月)診断されているのは、

  • 双極性障害Ⅱ型
  • 解離性障害
  • 全般性不安障害
  • パニック障害
  • 複雑性PTSD
  • ADHD(軽度)
  • 過敏性腸症候群(IBS)

ですかね。プラスで対人恐怖、重度の嘔吐恐怖もあります。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

たける